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●鮮度感と透明感 多彩なオーストリアワイン
オーストリア人にとって「果実味」とは、トロピカルフルーツの濃厚な味わいだけをさすのではなく、アプリコットやチェリーのような繊細で軽快な風味も意味する、と言われます。
オーストリアは「夏は暑く、冬は寒い」大陸性気候ですが、温暖な産地でなければ得られない豊かな果実味とアルコールによるボリューム感と、冷涼地域ならではのキリリと締まった高い酸が同居するオーストリアワインの両方を持ち合わせています。
白ワインではグリューナーフェルトリナーの辛口、ポルトギーザーやツヴァイゲルトなどの大量生産型品種から、カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノノワールなどの国際品種の高級赤ワイン、そして貴腐ワインと様々な種類のワインを生産しています。
この特集コーナーでは、オーストリアワインの歴史から、現代のオーストリアワインまで、そのこだわりを探ってみました。 |
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●オーストリアワインの歴史
オーストリアワインのワイン造りは紀元前から長く続いてきました。BC700年頃ケルト人がヴィニフェラ種からワインを造っていたことが、ハルシュタット文化の遺跡から判明しています。
フランスではブドウ栽培が始まる以前のことです。
ケルト人に代わりワイン造りを担ったのはローマ人でした。BC1世紀前後、ドナウ川を北限とした占領地にブドウを作りました。さらに3世紀のマルクス・アウリレウス・ブローブス皇帝の政権下ではローマ軍の駐屯が進み、ワイン造りが奨励されました。
ローマ帝国の衰退以降重要な役割の担ったのはフランク王国でした。4〜6世紀の民族大移動によって葡萄畑は大きなダメージを受けますが、その後オーストリアを支配したフランク王国のカール大帝(768〜814)はフランスから最新の栽培・醸造技術を伝え、ワイン造りの復興の礎を築きました。 |
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●修道院の果たした役割
中世において教会および修道院がワイン造りに主導的な役割を果たしていきます。12世紀の後半には彼らが優良リート(区画畑)の選別を始めます。ニコライホーフやシュロス・ベルスブルクなど当時の修道院や教会の畑などを今にそのまま伝えるワイナリーは少なくありません。また、シトー派の修道士によって、ブルゴーニュ系の葡萄(ピノ・グリ、ピノ・ブラン、ピノ・ノワールなど)が伝えられました。
ブドウ栽培は17世紀に高い税金やビール人気、30年戦争などの影響で減少に転じます。しかしノイジードラーゼ西岸の町ルストは例外でした。湖の湿気の影響でできる貴腐ブドウのみを使用したトロッケンベーレンアウスレーゼが最初に1525年ルストの北方で造られ、一帯で貴腐ワインの生産が盛んになります。そしてルスター・アウスブルッフ(ルスト産の貴腐ワイン)がハンガリーのトカイワインとともに国内外の貴族や富裕層に大変な人気を博していくようになりました。
18世紀に入ると女帝マリア・テレジアとヨーゼフ2世によって再びワイン文化が奨励されます。1784年にヨーゼフ2世によって発せられた、農家に対する自家製の食事とワインの販売許可令は、今に残る“ホイリゲ”文化の起源と言われます。 |
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●オーストリアワイン 混迷の20世紀
ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー二重帝国、国家の独立性を失ってドイツ第三帝国の支配下の後、1945年再び独立国となったオーストリアは、物不足に対応するため効率的な生産方法が模索され、多くの生産者はひたすら“質より量”の道をひた走りました。その象徴として起こった事件が1985年のジエチレングリコール事件でした。
オーストリアとイタリアの一部のワイナリーで、ジエチレングリコールという物質が不正に混入されたこの事件はメディアで大きく報道され、オーストリアワイン業界は破壊的な打撃を受けました。
ただ、この事件の結果、「量ではなく質こそがオーストリアワインを救う道だ」という考え方で一致したオーストリアワイン業界は、“世界一厳しい”と言われるワイン法のもと、目覚ましい品質の向上を遂げていくのでした。 |
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●オーストリアの気候
オーストリアのワイン産地は北緯47〜48度に位置し、これはアルザスの南端からブルゴーニュ、コートドールの緯度と同じです。
基本的に夏は暖かく、冬は寒い大陸性気候ですが、大部分のワイン産地は東方ハンガリーに向けて開かれた地形のため、夏はさらに暑く乾き、秋は長く温かな日中と冷え込む夜間の気温差が顕著となります。つまりブルゴーニュに比較して、夏と日中はより暑く、冬と朝晩はより寒いのが特徴です。 |
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●オーストリアワインのこだわり1 区画畑(リート)
長い歴史のなかで、中世多くのワイナリーを所有した修道院の功績によって、オーストリアの葡萄畑の土壌は非常に多彩です。
ヴィンテージごとの天候の違いや栽培上のテクニックの優劣を乗り越えて、つねにクオリティの高いブドウや個性溢れるブドウを造れる区画というものが見えてきます。そうした区画のことを修道士たちは“リート(区画)”と呼びました。フランスの“クリュ”と同じ概念です。
こうして銘醸地と言われる地域には無数の異なる個性をもったリートが並ぶことになりました。 |
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●オーストリアワインのこだわり2 植樹密度の工夫
オーストリアワインは過去20年の間に、量から質への完全な転換がなされました。
その端的な例が、植樹密度です。古い畑では1ヘクタールあたり3000本以下ですが、品質にこだわる最近の畑では5000本以下となっています。これは、密植すると、1本あたりに実らせるブドウの数が少なくなり、それだけ凝縮した風味となるからです。
また、隣の樹との競争があるために根が横に広がらず、地下深く伸びて、微栄養素を吸い上げることでワインの品質が向上します。密植した畑では、樹間を75cm程度と狭くし、畝間は広くとります。それは2m以上と高く仕立てた樹の影が、となりの樹に及ばないようにするためです。樹を高くするのは、光合成をする葉の面積を多くとり、ブドウの成熟を高めるためです。 |
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●オーストリアワインのこだわり3 徹底した収量制限
オーストリアでは世界で最も厳しいワイン法を制定した国であり、ワインの収量も非常に低くなっています。法律の最大収量は、67.5hl/haです。しかし実際にはさらに低く、平均で48hl/ha、高級ワインでは、30hl/ha程度です。この数字は、他国の名醸地と比較してもさらに低くなっています。
想像以上に温暖な気候、高く仕立てられた樹、そして非常に低い収量。そして、EU諸国髄一の有機耕地率(15%)を誇る国らしく、リュット・リゾネ(減農薬農法)は常識という、自然な栽培への取り組み。現代のオーストリアワインを特徴づける、「高アルコール、高濃縮度、高品質」はこうして実現されています。 |
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●伝説のロンドン・テイティング オーストリーワインの歴史的勝利
2002年、オーストリアのグリューナー・フェルトリナーとシャルドネが、ウィーンやシンガポール、東京などで行われる国際テイスティングシリーズで世界の頂点に立ちました。特に2002年に行われた、シリーズの最高峰であるロンドンのテイスティングではの勝利は、ワイン史上にその名を残す結果でした。
すでに1976年のあのボルドー・テイスティングでは、国際的に有名なワインが“無名の”新興ワインに苦戦を強いられました。各国で名だたる評論家の、ジャンシス・ロビンソン氏(ファイナンシャル・タイムズ紙)、ティム・アトキン氏(オブザーバー)、高級ワインディーラーのヤン・エリック・パウルソン氏らが選んだ結果、なんと上位10位のうち7種類がオーストリアのグリューナー・フェルトリナーとシャルドネでした。シャトー・ラトゥール、テナール、ブルゴーニュのジャド、イタリアのガイア、カリフォルニアのモンダビ、オーストラリアのペンフォールドなど世界的にも有名な競合の生産者の中で勝ち取った栄冠でした。
この結果は、2002年11月16日、17日の「フィナンシャル・タイムズ紙」の週末版に大きく取り上げられ、話題になりました。 |
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